5月から通ってきてくれる小2のY君。 先日の授業の際に作文を持ってきてくれました。  おまけに ”読んだら感想を書いてね”  とのこと。 

タイトルはたしか ”ぎゃくに、すごいこと”。

その内容は1日に5回も本人が転んだことを書いたとても短いものでしたが、それぞれ5回の転んだときの光景を思い浮かべる事ができる内容でした。 文章は簡潔で状況説明に欠けるものでしたが、その時の雰囲気が良くわかる内容だと感想を書いて渡しました。

今思うと、教室でのY君の行動を身近で見ているので、文章で書かれた内容以上に、勝手なイメージを膨らませてた自分に気づかされました。登場人物の心情や状況が書かれていなくても、語り手となる人の個性や日ごろの言動によって、読み手が勝手にイメージを膨らませる事に改めて気づきましたね。 短い文章だったたからこそ、イメージせざるを得なかったとも言えますが。。

そういう意味では、読み手が勝手に持つイメージは、小説を読むときには良いんですが、現代国語の問題を解くときには邪魔にしかなりません。(文書の論理性と、受け手がもつイメージの話は長くなりそうなので、ここではやめておきます。語り手のキャラによるイメージまで考えると結末が見えそうにありませんから。)

さて、お迎えに来たお母さんに作文の話を聞くと、”夕べ、作文用紙はある?” と聞かれただけで、用紙を渡したあとはY君がなにをしていたかは知らなかったとのことでした。もともと活発な子供ではありますが、 自分で考えた ことを主体性をもって行う行動力は頼もしいですよね。

そして、題材は ”痛い”〝不運”のイメージしか湧かない ”自分が転んだ” 話です。 それを ”逆に、すごくない?” ”おもしろいよね?” と考えて、作文にできるポジティブ思考は、間違いなくトップレベルです。 5回も転んだのが自慢げにも見えました。

少し前までのY君の日記や作文の内容は、お母さんからみても褒められるものではなかったようです。それが、6月に入った頃に、”主語、述語がちゃんと書けるようになってきたんです” とお母さんが喜んでいらしたのを思い出しました。

ここからは私の想像ですが、お母さんに文章を褒められるようになって、Y君は自分の文章に自信をもてるようなったんだと。そして、マナカルの先生にも自分が面白いと思った体験を作文にして見せたかったのだと。

子供が自信をもって、得意げにいろんなことにチャレンジする姿は、楽しそうで見ているこちらも嬉しくなります。 時にはつまずくでしょうが、投げ出さずに乗り越えたときは、また、頼もしくなっているはずです。