いつも車を普通に運転している皆さん! 車の運転を始めた頃は、ハンドルを廻す角度や周囲にある障害物すべてが気になって、精神的にとっても疲れた記憶はありませんか? 

電車や車の音がうるさいと思っていた場所が、住み始めてしばらくすると気にならなくなったり、最初のうちは違和感を感じていた事に対しても、何度か目にするうちに気にならなくなったりした経験はないでしょうか?

これらが脳の習慣化です。では、習慣化はなぜ起こるのか? 脳の活動は無限ではないので、すべてに対して 常に目を行き届かすようにしていると、新しいことを学習する余地がなくなってしまいます。これは悪いことではなく、 初心者ドライバーのように常に緊張していると、いつまでたっても、友達と会話もできないし、音楽すら楽しむことができなくなります。

子供の頃にはドキドキ、ハラハラ、とっても楽しかったことが、大人になるとそうでもなくなりますよね。これも習慣化で、この習慣化があるからこそ次の新たな学習や試みに挑戦できるのです。

マナカルのコミュニケーショントレーニングに承認の輪という考え方があります。これは、自分の発言に対して周囲が耳を傾けてくれ、その内容に対して賞賛の拍手をもらう事を繰り返し体験することで、自分自身が認められていると習慣化することで、人前での発表に慣れていくことを意味しています。

勘違いという表現もある意味あっているかと思いますが、我々の持っている自信とは、これまでの何らかの心地よい経験から来ている事は間違いなと思います。

良い体験を繰り返し経験することで、脳が習慣化して、嫌だったことが好きにもなるし、不得意だったことが自信を持てる事にもなります。

日常で良い経験を繰り返し、それに慣れることで次のステップに進む脳の習慣化の良い面を話してきましたが、悪い面も話しておきます。

冒頭にも書きましたが、初めて遭遇した際には違和感や異常と思えることすら、何度か経験すると慣れてしまうのが習慣化です。 目の前で起こっている異常や、身の回りの問題に対してすら、そのうちに何の違和感もなく見過ごしてしまうようになる事も事実です。

大きな組織で、”昔から行われてきた慣習”という言い訳で発覚する不祥事を思い出しませんか?

習慣についての話を書いたのは、実は今日のコミュトレの授業中に、一人の生徒さんがいつも通りの発表ができずに、発言の前に黙ってしまったことが背景にあります。

授業が終わってからずっと、”今日はどうしたのだろう” 考えていましたが、やはり、思い当たる理由としては、その子の目の届く範囲に第三者が座っていたことが原因かと。

知らない大人がいることで緊張する子供がいるため、普段からコミュトレ授業時間の間には、子供の目の届く範囲に第三者(保護者も)は入れないようにしてきました。しかしながら、我々の管理不足と突然の豪雨とカミナリに、想定外の大人がその子の目の届く範囲に居ることになってしまいました。

”配慮が足りずに、本当に申し訳ありませんでした。” 

”本当に、今日はごめんね”

その子の普段の姿を想うと、この状況下でも”いつも通りに発表をできる”と勝手に思っていた自分がありました。本当に今日は、そのことを申し訳なく思い、反省するばかりです。

最後の話は、書きたかった脳の習慣化の話とは少し違うのですが、思い込みもその働きの一部ではありますね。

今日の反省を機に、改めて優先順位を見直します。